川上弘美「婆」

好きなのは婆の形の中にある婆ではなく、球形の空間の中を飛び回る月の放つ光が満たすところ全部を漂っているような婆という気配なのだった。好きなのは、婆という形の中に閉じ込められた婆の芯ではなく、そこらじゅうをびっしり満たしていた婆と自分の混じり合った気配なのであった。

毎日連絡を取り合っていた人とここみっかほどメールもしていない。
徐々にそのひとの実体がかすんでくる。
私の人生にそんなひとはいなかったんじゃないかと、幻のかなたにぼんやりと認めるだけの姿であるように感じる。
周りにいる人々を実体として認識できない、というわけではない。それぞれの関係性があって、それぞれの間にはともに醸す空気がある。

彼の実体が霞んで感じられるのは、彼が私を見るとき、私を通り抜けて別のものを見ているように感じられていたからではないだろうか。

今日は、そのときの彼の眼差しに対する漠然とした感覚が確かな実感を伴って湧き上がり、連絡がないということは私の向こうに見ていたものと通じたからではないかと思うのだ。
実際には実体としてある私という壁が、実際に透明になったのではないかと。向こう側へ手が届いたのではないかと。

わたしはアイストップに、なりたいのだが。

で、今までの私だったら、なりたいなー、でもなれないなーとあきらめていた。無理やりあきらめようとして一日泣いたりしていた。しかし、今はなぜかこの状況を乗り越えてやる、と思っている。自分の思い通りにしてやる、とは思わないけど、少しはアイストップに近い位置へ自分を持っていくように建設的な努力(あるいは直截的体当たり)を積み重ねたいと思うし、貪欲な受領のようになりたいと思うのだ。


世界の各地で爆発が起きている。ロシア、スペイン…。

先日に続いて…

楢山節考 (新潮文庫)

楢山節考 (新潮文庫)

押入れの奥から出してきた。チッチかわいい!
小さな恋のものがたり (第39集)

小さな恋のものがたり (第39集)

夏はかようにも暑いものだと、前回の日記を書いた私は想像していなかったことだろう。ってもう25回を超えて夏を迎えるにあたって、そうそう、夏ってこんなのと思えるようになった。ピリッとしない毎日。
人の顔色ばかりうかがうのは、やめだ。やめにしなくてはならない。顔色うかがっていた方が私には楽なのだが。

久々にこのページを開く。ここのところ仕事が忙しくて更新する気にもなれなかった。風邪をひいて休んだ午後。
一月前の私はもういない。変わらない日常のように思えても、時間はきっちりと流れている。実際、この数ヶ月は「普通」と思うことが穏やかに移行しているのを感じている。

忙しいのだけど、時間の使い方がとても下手だと思う今日この頃。
さらに、インプット/アウトプットがうまく出来ていない。もともと苦手なんだけど、最近はよりへたくそだ。意識する点はどこか。きちんと考えて物事に当たれ。

でもねぇ、軽やかさや自分の個性(ってかくと教育的だが、思い浮かべているのは武田百合子だ。彼女の文章は詩的情緒的であるわけではないが、とても個性的だ)は忘れたくない。